mémélog

フランス語で母方「ばあば」は「mémé (メメ)」という。だから私のブログは「mémé 」の「blog」、略して「mémélog」である。

天気痛

春秋

日本経済新聞 朝刊 1面 (1ページ)

 兼好法師は「徒然草」で、心の浮き立つ春をたたえつつも、その空模様をうらんでいる。のどかな光のなか、垣根の草も萌えだす。あちこちが春霞に覆われて、花も色づいてくる。とてもいい気分なのに――。「をりしも雨風うちつゞきて、心あわたゝしく散りすぎぬ」

▼いまの季節の不安定な天候は、ずっと昔から日本人を困らせてきたのだろう。ぽかぽかと穏やかな日はそれほど多くなく、風が強かったり冷たい雨が街路をぬらしたり……。落ち着かない天気は、心あわただしいだけでなく、実際に頭痛や目まいを生じさせもする。最近では「気象病」「天気痛」といった言葉もよく聞く。

▼民間気象情報会社のウェザーニューズが自社のスマホアプリで「天気痛予報」を始めたというから、患者があまたいるに違いない。異状を引き起こすのはおもに気圧の低下で、内耳のセンサーがそれを感じ取ってさまざまな症状をもたらすそうだ。繰り返す痛みは精神に影響を与え、それがまた痛みを強くするといわれる。

▼評論家の小林秀雄によれば、兼好は「物が見え過ぎる」鋭敏な人だった。「雨風うちつゞきて」の季節に、頭痛や目まいは大丈夫だったろうか。時代は14世紀前半。鎌倉末期から南北朝の動乱期だ。思えば「雨風」は社会の転変にも通じる気がする。空も世も人も、700年を隔てながら、そう変わらないのかもしれない。

A ce compte-la, vous avez raison. Il est possible que c’est ce qu’on appelle une douleur météorologique. Il y a un certain homme tout près de moi qui est semble que oui.


なるほど、天気痛というものかもしれない。とても身近にもそうらしい人がいる。